フォーラム的なものに参加してみた (年寄りの冷や水バージョン)
オンラインのチャットの集まりに始めて参加してみた。
内容については、
特定の話題について見知らぬどおしでチャットという感覚がすごく
懐かしきパソコン通信の時代のフォーラムを思い出す感じでした。
↓こんなの
昔々、
Nifty-serveというパソコン通信サービスがあって、
当時としては画期的なインターネットユーザーの趣味の場があった
その頃、スタートレック(TNG)のファンだったので、
ファンのグループに文字だけとはいえ参加して地味に楽しんでいた
これだけで年代がわかってしまうが、
都内のアクセスポイントはプライムタイムには話し中で繋がりにく
通信費がかさむのを覚悟の上で金沢のアクセスポイントを経由して
チャットのスピードも各人の打つスピードがどれほど速かろうと、
PCの性能と通信速度という太刀打ちできない制限があり、
うっかりリロードしわすれると(自動更新ではなかった)
未読ログが30件くらい出てきてビビったりしたものだ。
ログインすると、必ず聞こえる「ニフティサーブへようこそ!」
デジタル合成された女性の声の挨拶はいまだに頭にこびりついている。
ああ、懐かしい。
なんだか回顧録になってしまったが、話を戻すと、そのオンライン上のチャットは
そのフォーラムでのやりとりをすごく高速にしたみたいなもので
画像とかも簡単にUp出来て、議論されている話題自体より
技術の進歩ってすごいなーという所に感心してしまった(笑
昔はパソ通なんてできるのは、かなりテク・オタクが多くてある意味すごく限定されていたと思うのだが今回のチャットでは主婦とか普通の会社員の人とか(多分)
別に技術系でもない一般の人ばっかりだった。いや、あたりまえなんだけど。
若い人がアンカーだったこともあるが、SNSとかチャットとか慣れているんだろう会話が繰り広げられているのをぼーっと眺めて、今ここでマシンガン並の速さで会話している人たちは、こういったテクノロジーやシステムは生活の中にあって当然なもので、それがどれだけ凄いことなのか考えたこともないんだろうなと思った。
もちろんそれは彼らの咎ではないし責めるつもりもないが
ある側面では持たざる者として苦境にある人が
別の場面では優位な側の持つ者の立場になる。
持つものは、大概の場合自分の優位性には気が付かない。
だって当たり前のことだから、持っていることすら気が付かない。
これが全てのgapの根源であり「持つ者(have)」と「持たざる者(have-not)」の埋められない溝なのかもしれない。と思った。